疑似エッセイ 第1回〜第10回

第1回:僕は旅行に興味がない

というわけで、お題を設定された文章を書こうという新企画「疑似エッセイ」が遂に始まりました。なんだか今までも似た企画が無数に立ち消えしていった気がするが、まずは羊の頭をぶら下げておけば誰か引っかかるやも知れないので始める。

第1回のお題は「旅行」ということになっている。

しかし僕はここ十年来、学校以外で旅行に行っていない。第一僕は旅行に特別の興味がない。行く必要もない。必要もないのに旅立つのは風情者ばかりである。必要があって旅立つのは作家のやることである。幸い僕は作家ではない。おかげでこんな文章のためにモンゴルへ行かずに済むのである。象使いにならなくていいのである。

けれどそれでは企画第一回目にして御破算の憂き目は逃れられない。だからといって旅行に行くつもりは僕には毛頭無い。その資金もない。しかしそれでは文章が書けぬ。ホームページの更新ができぬ。僕が困ること、非常である。である調になってしまう。

そもそも旅行なんか行かなくても身近に楽しいことはたくさんあるんじゃないか、というのが僕の建設的な(重要)意見です。まず目が覚める。学校へ行く。帰ってくる。午睡。夕飯。パソコン。風呂。読書。寝る。まず目が覚める。鉄壁。僕はこういう生活が楽しくて仕方ないから、もう旅行なんぞという自らを時間の束に縛って火をつけるような行為が入り込む余地がない。それに旅行はある程度の日にちを要するので、チョット行ってみるか、という気持ちでガラパゴス島でウミイグアナ狩りとかはできない。

それから僕はテレビの旅番組というのもよく分からない。本当にくだらないと思う。旅好きは放っておいても旅立つし、旅嫌いはブラウン管の美化作用には騙されない。どっちでもいい人は心底からどうでもいい。そもそも旅行に行きたければテレビを見ていないでさっさと出発するべきだ。こんなことを書くと「旅番組は単に旅気分を味わうための代替だ」と主張する人があるかもしれない。だけど日曜日の朝っぱらから何処か遠くへ行きたくなったって仕様がないじゃないかと思う。キッパリ諦めろと言いたい。

ああ、もう本当に書くことがないのです。僕は本当に、本当に、旅行になんの興味もないのです。もうキーボードを叩くのをやめます。あーくだらない。

第2回:もしもチェロが弾けたなら

僕には音楽の才能がない。物心がついたころから「お前は歌が下手糞だ」と罵られてきた。小学校の音楽の時間でもリコーダーも鍵盤ハーモニカもろくに演奏できず、ト音記号の楽譜すら満足に読めない始末。哀れ、僕はついに固く心を閉ざし、決して人前で歌わなくなってしまった。ああ乞食の卑屈な信念!

かのモーツァルトは外で聞いてきた曲を、家に帰ってから五線譜に起こすことができたそうだ。ショスタコヴィッチは楽譜を見ると、頭の中でショスタコヴィッチ・オーケストラが合奏を始めたそうだ。僕は楽譜を見ると得体の知れぬ虚無感に包まれるばかりである。楽譜も読めないお前にとって世の中は不可能の山なんだよ、と囁かれている気がする。お前にはできない事だらけ、だってリコーダーさえ吹けないじゃないか。そんなこともできないのに、妙な期待をするなよ、と。

もし僕に音楽の才能があったなら断然チェロを習う。そして女の子にピアノ伴奏をやってもらう。バッハの無伴奏チェロ組曲でCDデビューを果たす。演奏スタイルはやや保守的だが、若者らしい活気ある演奏。同じく才能溢るる若者とカルテットを結成する。晩年に無伴奏チェロ組曲を再録音して、これには唸り声を存分に吹き込む。みんながこのCDにはマエストロの唸り声が入っていると言ってありがたがる。自伝を出版する。没後には次世代メディアで僕の録音が復刻されたりする。

それじゃなければクラリネットを吹く。モーツァルトのクラリネット五重奏曲とか、ブラームスのクラリネット・ソナタで地球市民を泣かせる。ふだんはどっかの楽団のクラリネット主席に収まっている。なんだか悲しいときにプカプカ鳴らして自分で泣く。

つまり、僕は音楽の才能がある人がうらやましい。だってふと気が向いたときに、チェロを奏でることができたら色々なことがうまくいきそうな気がしませんか? 僕はします。

第3回:春めく時分の気持ち

春眠暁を覚えず……、とは言うが僕は寝るのがそれ程好きではないのでさっさと起きてしまうのである。

僕は春という季節にちょっとした嫌悪を覚える。それは気候や花粉のせいではない。僕は春の暖かい風を深く愛しています(本当)。毛虫さえ降らさなければ桜に接吻したい気持ちです。全ての人の人生を全体として祝福したい気分にさえなります。

春が年度の変わり目なのが嫌だ。一年かけて作りあげ守ってきた習慣や行動パターンは崩壊し、入学や卒業、あるいは入社などによる環境の変化を押し付けられる。起床や帰宅や就寝の時間は変わらざるを得なくなり、新しい仕事や作業が入り込み、場合によっては制服まで変えなければならない。果たして僕の心臓の鼓動の結晶たるグータラ・スケジュールは塵となり春風に舞い散ってしまう。

こうして地殻変動の如く歪められたスケジュールは一年かけて再構築され、再び桜吹雪とともに去ってゆく。無常。冬の寒ささえ時間とともに消えてゆく。いわんや僕の生活習慣をや、である。(2004/4/13)

第4回:犬の頭脳も巡る

僕はメスの柴犬を飼っている。当年10才。数年で多分死ぬ。10年以内には必ず死ぬ。犬の寿命は人間よりずっと短い。

愛玩犬の彼女には役目がないので日がな一日寝ている。たまに寝ていないときもあって、散歩に行ったり餌を食べたりしている。そうしているといつの間にか寿命になって死んでいる。もはや行くところまでイッてしまっている。

そんな彼女も彼女なりに何かしらの考えがあるらしく、時々ある種の緊張感を持って畳のうえに伏せっている。小さい頭蓋のなかに犬の思念が巡り、犬理論に従って犬理念が確立され犬哲学が完成される。やがてそれらは体系化され一個の犬の存在を証明する。答えを得た彼女は一層ふてぶてしさを増し、飼い主の愛を無下にする。これだから年寄りはいけない。

ねえ、何だって僕を無視するんですか、土台君に思いやりの心はないのですか、と僕は言う。悲しい哉、犬は所詮畜生である。人の言葉が通じない。ただ疑わしい横目を使うばかりで、何も理解してはいない。仕方がないので僕ももう何も言わない。犬は嗅覚がすべてであり言葉は必要ない。僕だって犬の小便の匂いなんか知ったことではない。これだから犬と人は生涯分かり合えない。分かり合うには犬が直立二足歩行を行うか、人が四つん這いになるしかないが、どちらも到底望めぬことである。現実は犬にも厳しい。(2004/4/16)

第5回:日本語は宇宙人に通じるか

僕は英語ができないから、自然英語を使いこなせる人には腰が低くなる。おう、英語話せるよ、コイツ、ということになる。英語で俺の靴を磨けと言われたらきっと磨いてしまう。ムササビの真似くらいまでならおとなしくやってしまう。これはもう典型的な欧米コンプレックスという他はなく、もし二匹目の犬を飼うときがきたらフレデリックと名付けることに決めている。

もし宇宙人がやってくればこんな問題は綺麗に解決してしまう。宇宙人はまず宇宙公用語のポッポー語で話しかけてくる。地球人はポッポー語を理解できないので、まごつくばかり。宇宙人は舌打ちをすると自動翻訳機を使って「なんだ貴様ら、ポッポー語も分からないのかよう、このポテトヘッド」と言ってくる。全世界でポッポー語講座が開かれ、これからの時代ポッポー語ができなければ生き残れないといった風潮さえ現れる。しかし地球人の口蓋の形状上、どうしても「ル゜」の発音ができないので、宇宙では「奴らは醜いポテト訛りだ」と陰口を叩かれ続ける。地球人はみんなで「しょうがないよね、だってそういう風に体が出来てないんだもの」と慰めあって、誰も英語のことなんか気にしなくなる。もちろん核もなくなる。

こんなこと考えてる暇があったら、英語の勉強したほうがいいよな。本当に。(2004/3/18)

第6回:しかし世の中には変な人が多いよな

しかし世の中には変な人が多いよな、と本当に思う。僕たちは街中で、電車で、学校で実に多くの変な人を見ながら成長していく。生きるというのは変な人を見ることだ……、かどうかは知らないけれど、僕は日本沈没があるとしたら変な人の重量によってのみだと考えている。

たとえばこの間電車に乗ったとき、見知らぬ婆が「降りられないじゃないか、バカモノ共ォ!」と絶叫していた。これは一時期の横山弁護士を想像してもらえれば、まあ正しい。僕の視界に入る程度で、もうこのくらい受信してしまっている。しかし愛すべきことに、世間は広いから、最高の部類を探すともっと凄いことになってくる。その最たる例が一時期の横山弁護士のクライアントだったりするわけである。1億3000万人の可能性がここにある。

けれど「自分もどれだけ他人から変な人だと思われてるか分からないよな」とも考える。自分は極普通のこととしてやっているつもりでも、周りから見れば「ヤッベエなあ」というのは結構ある。

「犬なんか好きなやつは、まず性格破綻者だ」とか「パソコンが趣味のやつは、ペドフィリアだから死ね」とか「白いスニーカーを履いてる男は、ゲイだ」とか思われてるかもしれない。ちなみに僕は愛読書が司馬遼太郎の人は、まず信用しないようにしている。ここまで偏見じみていなくても、ちょっとした無自覚の言動が人からすればとんでもなく嫌な事だったりする。人の数のだけ、変な人の数がある。

しかし電車のなかで遠吠えを始めるのは誰が見ても変だよな。(2004/3/20)

第7回:ふらふら

目が覚めたら10時だった。ああ、まずいな、こういう時間に起きると中途半端なんだよな、糞、そうだ、東京湾に行こう、と僕は思った。どうして東京湾に行きたくなったかよく分からないけれど、このまま無為に一日を終わらせてしまうのも悲しいので、朝食を食べてから家を出た。すると、そうだ、歩いていこう、という感じになった。道のりも所要時間も分からないけれど、取りあえず隅田川に沿って下っていけばいつか東京湾に出るはずである。道理である。

隅田川僕は隅田川のテラスをずんずん歩いていった。川沿いの散歩は良いことずくめ。車は通らない。信号はない。人は少ない。建物や電線がないから空がよく見える。……2時間ばかり歩いたところでテラスが終わってしまう。まずい。隅田川から離脱。大体の見当で2時間くらいさらに歩く。日は傾く。僕は「走れメロス」的な観念に取り付かれてくる。

午後4時あたりから腰が痛くなってくるが、4時15分なんとか勝どき橋を越える。(しかしこの橋絶対に上がらないよな)。4時30分汐留に到着する。よっぽどゆりかもめに乗ろうとしたけれど、それは酷い裏切りなので、背中を痛めつつもっと歩く。もうやめたい。

ちっこく写るフジテレビ ちっこく写るフジテレビ5時、ついに東京湾に到着する。我、到着せり! と僕は叫んだ。嘘です。叫んでません。でもため息はついた。結局5時間くらい歩いた。人間の歩く速さが4km/hだから、およそ20km歩いたことになる。こういうのって本当に止めたほうがいい。

さすがに復路は電車を使った。運賃は160円だった。おい、と僕は思った。悔しいので秋葉原に寄ってCDを買ってから帰る。CD買う金があったら最初から電車乗れよと思う。電車って凄いですよね。金を払うと、発電所から送られてきた電気がビビビッと通って、自動的に目的地まで運んでくれる。僕は今日からひざまずいて電車に乗ります。(2004/3/21)