エセ日乗 11〜20

11

現実世界における三角形の絶対数はすごく少ない。ためしに学校帰りのバス停で必死になって三角形を探したが、ひとつとして発見できなかった。僕らの住む街というのは、ほとんど円と四角形の支配下にあると言っても過言ではない。知名度という点では円や四角形と同等であろう三角形が、なぜこれほどの冷遇を受けることになったのか、見すごしてはいけない問題じゃないかと思う。

三角形の貧困についての意識の薄い人は、一日でいくつ純粋な三角形(幾何学的三角形)を見つけられるか試してみて下さい。三角形貧困の深刻さと、円および四角形の跋扈に愕然とします。

12

ビラ配りに接近しつつ、ポケットから手を出し、すれ違いざまに鼻の頭を掻く、という遊戯。

13

あした会社見学とかいうので火力発電所とかいう施設を見学させられることになった。これは石炭や重油を燃焼させてクリーンな電気エネルギーを生み出そうという、人を愚弄した挑戦的な設備である。僕は太陽光発電所の平和な発電作業を見たかったので、火力発電という反社会的発電方式を採用して省みない退廃の砦に出向くことになるのはすこし辛い。

14

この施設、実は見学を想定して建築されており視聴覚室や見学順路が設けられていた。わりに親切である。ヘルメットを配られて点検作業に同行させられるとかいうことはないし、配管から水蒸気が噴出して大急ぎでバルブを閉じたりすることもない。見学用のビデオを見て、安全なところから安全な作業を見物した。設備自体に特筆する点は特にない火力発電所だった。

ただ中央操作室という発電所の司令塔は、見学の人のために壁のひとつの面がガラス張りで、外から作業が見られるようになっていた。まるで動物園のチンパンジーみたいだ。彼らの前にあるタッチパネルで発電所が制御できる仕組みになっている。……もしかしてこの世の支配者は発電所の作業員なのではないだろうか。世界中の発電所作業員が共謀して、一度にすべての発電所を停止させてしまったら、僕らはもう発電所作業員のいいなりになるしかないじゃないか。自家発電を考えるべし。

15

図書館にはおうおうにしてコジキと選ぶ所がない汚らしいおやじがいる。彼らは入り口の近くの新聞・雑誌コーナーで終日とぐろを巻いている。いつ現れて、いつ消えているのか神秘である。

きょう僕が二階の窓際、いちばん日当りのよい席へ行くと、となりには正にコジキと選ぶ所がない汚らしいおやじが背中を丸めていた。五十がらみの禿げたモジャ頭で、すり切れた薄緑のセーターとベージュのズボンを身につけている。例にもれず彼ら独自の顔色と表情を有している。僕はルンペン同様の彼を見て、決して愉快な気持ちにはなれなかった。整然と学問を収容した本棚たちや、知識を飲み込んだ埃たちとはとうてい無縁な者のように見えたからである。しかしよく見ると彼は厳めしい漢字と戯れているのだった。漢字が満載された二枚の紙を見比べて、三枚目の紙に新しく漢字を書き込んでいる。たぶん漢文かなにかだと思うがよく分からない。たちまち僕は、彼をコジキと選ぶ所がない汚らしいおやじなどと号することができなくなった。こうして見ると、樽に住まう哲人ディオゲネスという風情さえある。もっとも平日の昼間から図書館に通う男が、尋常な仕事で世を渡っているとは思われない。

この男は若い日には漢文学者を志し、才能も努力を惜しまない心も持っていたが金はなかったのだ。夢敗れてダンボールハウスに日々を送り、図書館の一遇での漢文学の勉強を慰みにしている。古びた杜甫を一冊ふところに忍ばせて。……彼の服装はセーターであるぞ、などというヨコヤリは許されない。数時間の後、彼はタンが絡まったような咳を五回して去っていった。

16

またもや図書館での出来事。入館してからしばらく特別の目的もなく本を見てまわり、ひとつの本棚の前ですこし足を止めてパラパラとページを繰っていると、前触れなき怒声が響いた。

「なに、なんですか、ここにいちゃあ悪いんですか!」

これはまた物騒だと思って発信源に目をやると、近くの机に向かっていた六十余のおばあさんである。何故だかその憤怒に満たされた顔面は僕に向けられている。すると自然、周囲の人達の視線も僕らに集まってくる。……

「私がここにいたら悪いんですか、よく分からないけど悪いんですか、どきますよ!ええ、どきますよ、よく分からないけど!ハイ!どきましたよ!どうぞ!イスもチャンと引いて置きましたよ!」

……もちろん僕はこんな怒号を浴びる理由は持っていない。ひょっとしたら彼女は痴呆症なのかも知れない。僕にはなんとも言えない。

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眼鏡が壊れた。授業がおわって、眼鏡を机において、トイレに行って帰って来たら、眼鏡が落っこちていて気付かずに踏んでしまった。誰かが近くを通ったときに落としたのだ。左のレンズが飛び出て、テンプルが傾いている。レンズは指で押すと簡単にもどった。テンプルは家に帰ってペンチを使ったらすぐに直った。眼鏡というのは、なかなか単純な器具なのである。

18

公園で鳩の交尾をみた。鳩が交尾をするというのは当然のようでいて、なかなか奥深い問題である。僕は朝の公園で深く考えこんでしまった。鳩の交尾のたまもの、つまり卵や雛はいったい世界のどこにいるのだろう? 僕らが見るのは、いつでもあのホロッホーの成鳥だけである。彼らに卵時代や幼少時代があったことなんて、きっと誰も知らないだろう。けれど、この大都会には幾千の鳩の巣があり、幾万の卵が親鳥のおなかで温められているのだ。当然である。卵なくして雛なし、雛なくして鳥なし、である。しかし僕らは、こんな簡単な道理を忘れている。鳩のことばかりではない。からすの産卵とか、ねずみの妊娠とかだって忘れている。だからどうというわけでもないけれど、たまにはこんなことを考える余裕があってもいいと思う。

19

バスの中で、ばりばり塩おかきを食べるタイ人の女性をみた。

ちょっとずつリアリティが損なわれていっているのだ。

20

地理の先生は三時間連続でおなじところを教えた。地球儀と標準時と時差について。生徒はみんなこの錯誤に気がついている。けれど指摘するひとはいない。だから先生は間違えつづけ、しかもそのことに気がつかない。こうして僕たちの人生の時間は、ニ時間分消えた。